9時半におはよう。
          パンとコーヒー。
          たくさん雨を抱えこんでいる雲がとてもきれいだった。
                        午後、ひとりでデザイン。
          夕方、シブヤへコーヒー豆などを買いに行く。
          帰りがけにタワーによる。バッハを2枚。
          「平均律クラヴィーア曲集」
          「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」
          平均律といい、無伴奏といい、
          意味はよくわかんないけど、カッコイイ。
          平均律と平行線が言葉としてちょっと似ていることも
          意味もなくうれしかったりする・・・。
          このごろ、あたまのなかの線路が迷路のようになっているが、
          あの平行線の、ミニマルずきの僕の謎がひとつわかった。
                        そしてお互いを知らない。
          そしてお互いがとてもよく似ている。
          そして誰のものでもない。
                        ミニマルは最後、エゴレスでピースなかんじなんだと思う。
          これは子供のすてることのできない毛布のようなもので、
          いつかは忘れてしまうものかもしれない。
          でも僕は誰のものでもないものにひかれる。
          誰のものでもない空。誰のものでもない土地。
          土地は誰かのものになっているけれど、人のきめたことで、
          アリは何処にでもホームをつくれるし、
          タンポポは何処にでも咲いて、種は何処にでも飛んでいく。
          いつかはやってみたいことのひとつで、
          空き地や、グラウンドの脇とかに
          花の種をこっそりと、うえてみたい。
          知らないうちに花が咲いて、
          みんなニコニコしているかんじがいい。
                        5年ほど前に「花椿」でTシャツのデザインをしたことがある。
          僕のテーマは「誰のものでもない、目の幅の涙」だったことを
          思いだす。
          物語性をデザインしてみたいと試行錯誤していて、
          「にじぞう」につながっていった思い出のデザイン。
          ここから「にじぞう」が始まっていたようなきもする。
          よくみると、2本の涙は線路のように、
          ミニマルで平行線になっている。
          このころより、おき忘れた毛布を探していたんだと思う。